中学一年生のとき、自分の世界が一気に広がった経験があります。
海外の同年代の子どもたちと、数日間いっしょに寝泊まりする国際交流のイベントでした。ちょうど、日本である国への反発感情が強かった時代。大人もメディアも、口をそろえて相手の国を悪く言っていました。でも、実際に会ってみると——同じアジアの、同じ年ごろの、ただの人間でした。国の枠も、メディアがつくったイメージも、目の前の相手の前ではあっけなく崩れていく。あの数日で、「自分の目で見て、確かめる」ことの強さを知りました。
同じころ、逆の経験もしています。まわりに流されて続けたけれど、自分にはまるで合わなかったこと。スポーツ全般です。優劣をつけて技術を競う、閉じたコミュニティが、どうしても性に合いませんでした。一方で、理科教室のように、ものごとのしくみを探ったり、好奇心を広げたりする時間は、心から楽しかった。
一度、自分に合った体験をすると、世界も夢も大きく広がる。逆に、合わないものを「みんなやっているから」と続けても、ほとんど何も残らない。私はそれを、身をもって知っています。
「言語化されていない」という壁
だからこそ、すべての子どもに、その子に合うものと出会ってほしい。そう思ったとき、大きな壁に気づきました。その子の「強み」や「適性」は、まだほとんど言語化されていない、ということです。
これは、これからの時代にいっそう重くのしかかります。AIの時代に価値を生むのは、情報処理や記憶の速さではありません。人やAIと関わりながら、独創的な価値を生み出す力——つまり、非認知能力や、その子ならではの個性です。ますます大事になる。なのに、それを測る「ものさし」も、積み上がった「データ」も、ほとんど存在しないのです。
観察は、その日のうちに消えていく
現場を見ると、事態はもっと切実でした。子どもの日々の様子=観察は、言語化されないまま、その日のうちに流れて消えていきます。送迎のスタッフにも十分に引き継がれず、ご家庭にはそもそも届いていないことも多い。連絡帳に残るのは「今日も楽しく過ごしました」——それだけ、ということが少なくありません。
現場は、待っていた
一人で気負っていたのかもしれない、と思っていました。けれど、実際に現場の支援員の方に使ってもらうと、返ってきた言葉に、こちらが驚かされました。「これを、一年間ずっと探していた」。別の方は、運転しながらスマートフォンの音声入力を使って、自分なりに記録を残そうとしていたと言います。
現場は、待っていたのです。子どもをもっとよく観たい、それをちゃんと言葉にして残したい、伝えたい——その思いは、とっくにそこにありました。ただ、それを支える道具が、なかっただけでした。
「よく観る」から、始めたい
だから私は、「よく観る」ことから始めたいと思いました。
私が考える「質の高い観察」とは、子どもの潜在能力や適性をうまく引き出し、その子の将来につなげられる観察のことです。ただ様子を書きとめるのではなく、その子の芽に気づくための観察。
なぜ、放課後等デイサービスや児童発達支援なのか。この現場は、日ごろから子どもの成長を観察し、それに応じてケアを積み重ねている場所だからです。観察の営みが、もともと根づいている。だからこそ、まずここで「よく観る」のベストプラクティスをつくりたい。その先に、学童や習い事、学校現場へと広げていきたいと考えています。
作るうえで、譲れない一線があります。AIは、言語化を支える「黒子」にとどまる、ということです。子どもの強みや適性の「タネ」を見つけるのは、人生を生きてきた人間にしかできません。AIにできる最前線まで手伝わせて、先生が「人にしかできないこと」に集中できるようにする。主役は、いつも先生と子どもです。
めざしている世界
最後に、めざしている世界を書きます。
あらゆる人が、自分の強みを活かして、自分の幸福を追求できる世界。そのために、保護者も先生も、子どもの「芽」を見つけ、潰さないように見守り、育ててあげられる——そんな、温かくて優しい世界をつくりたい。
その最初の一歩として、放課後等デイ・児童発達支援むけの観察記録アプリ「そだちノート」を作っています。話すだけで、その日の子どもの姿が観察記録に。むずかしい操作はいりません。
このブログでは、これから「観察」や「そだち」について、現場の視点で書いていきます。よかったら、いっしょに考えてもらえたら嬉しいです。